トキワジムの内部はヒジリが就任した当時はなにもないタイル張りだったのだが、子供の情操教育とか諸々を考慮したら現在のような形態の自然いっぱいの公園のようになってしまった上に日照確保のために天井まで開く。
 ベッドと言う名のカビゴンの上に胡坐を掻いて、銜え煙草でヒジリは天井を見上げた。今日は天気がいいので夕焼けがとても綺麗だ。

「にゃーちゃん〈にどげり〉!」

 さっきまで夜眠れなくなるという大人の事情で起こされて不機嫌だった娘がニドラン♀とソウタとバトルごっこをしているのを見ながら、ジム中を走り回る大量のイーブイの捕獲はいつになったら終わるのだろうかと白煙を吐き出す。昼間、イーブイの大量繁殖に成功したと上機嫌で二十匹から放してくれた親友はジムの一角にあるハーブ園で何かの収穫をしている。
 まだ五才の娘のポケモンは数年前に捕まえたもので、すっかりコフジのペットみたいになっている。対してソウタはヒジリが昔から愛用しているラフレシアで子供の扱いはお手のものだ。今だって適度にやられたふりをしていた。レベル八十六は器用だ。

「ヒジリさん、イーブイ捕まりました?」
「は? あいつら捕まえんの?」
「いえ、別に。欲しければどうぞ」

 ゴーリキーに大きなかごを持たせてヨシノが戻ってきた。自分の研究所にもだだっ広い敷地があるのになぜか彼はここでハーブを栽培する。前に理由を聞いたら手入れが行き届くからだとさらりと言われた。別に世話をしているのはヒジリではなく妻だったりするから文句は言わないが、一体いつの間にうちの奥さんと仲良くなったんだこいつ。
 空いていた天井をそろそろ閉めようかとベッドから飛び降りると、リモコンを探している間にバッサバッサとリザードンが飛び込んできた。降りる場所を探すように幾度か上空を旋回し、やがて水辺に舞い降りた。

「そーちゃん逃げて!」

 尻尾に炎を灯したリザードンをみて遊んでいたコフジが驚いた声を上げてペッと煙草を吐き出したヒジリの足に駆け寄ってしがみ付いた。火の点いたままの煙草は草に燃え移る前にタッツーが水鉄砲で消す。
 リザードンの背中から、少女がスタッと軽快に降り立った。続いてバシャンと落下する音がする。頭上をパタパタとズバットが舞い、しきりに鳴いて己の非のない事を訴えた。うるさい。

「みつけました」

 そう言って少女・ナギサはリザードンをモンスターボールにしまってから、湖の中でコイキングにつつかれて呆けている件の迷子の天才を親指で示した。
 仕事が早い感心とケイタのあまりの情けなさに掛ける言葉なんて出てこなかったが、よくしつけられたルージュラはせっせとタオルを運んできて、運んできた端からムチュールが水の中に投げ込んでいる。しまいにはルージュラに殴られた。

「おかえり、迷子の天才」

 結局慰めの言葉も激励も見つからず、皮肉を交えたつもりは全くない台詞を発してみたら湖の中でケイタは沈痛な面持ちになってしまった。もしこれでからかったりなんかしたら泣き出すんじゃないかとすら懸念できる表情になるものだから、ヒジリは何も言わずに手を伸ばして湖の中から萎れている茶髪を救出した。
 バタフリーとポニータを呼んで濡れ鼠を乾かしながらざっとあらましを聞くと、始めは笑えていたが最終的には笑えなくなった。ナギサがケイタを見つけたときなんて怒鳴りたくなったが、堪えて銜えただけで火を点けてない煙草を噛み潰してしまった。

「もっかい。俺の聞き間違いじゃねぇよな?」
「間違いじゃないと思います」
「キャタピー同士で〈いとをはく〉……」

 言葉に出せば出しただけ情けなくなってくる。タツタ学園はこれでもトレーナー育成に関してもレベルの高い私立だ。生徒は良家の子息が大半を占め、各地のジムリーダーも約半数がタツタ出身が請負っている。そのなのに、<いとをはく>対決って。
 ヒジリはとりあえずポニータで火を点けて気を落ち着かせた。

「ケイタ、小等部から出直せ馬鹿。今まで何やってたんだお前」

 いくらヒジリの娘とはいえ、コフジだって五才にしてまともにバトルができる。なのに高等部も二年になってレベル3のキャタピー如きが倒せないなんてセンスがないというかセンスが壊滅している。フリーザーどころの騒ぎじゃない。

「ケイタ君、貴方どうやって進級したんですか?」
「ヨシノ先生まで……」

 進級試験は実戦第一みたいなところがあるからクリアできたならそこそこのバトルができるなずなのに、やっぱりこの体たらく。いつもはヒジリから生徒を庇っているヨシノですら慰めの言葉を見つけることはできなかった。めそめそと半分泣き出してしまったケイタの頭をコフジがなでているのを見て、愛娘は心優しく育ってくれたがケイタが情けなくて涙が出てきた。

「連れてきましたけど、ジムリーダーに帰る件はご一考くださいましたか?」

 連れてきただけでお役御免なナギサはケイタを馬鹿にするでもなく、淡々と己のためにヨシノの真正面に立つ。立って長話もなんなので温室に移動することにして、そこでやっと落ち着いた。ルージュラが持ってきてくれたお茶は、ヨシノのハーブ畑で取れた葉を使っている。

「まずはケイタ君を助けてくれてありがとうございました」
「どういたしまして」
「ですがケイタ君がこれでは課題をクリアできるか、心底不安なんですよね」
「……まだこれ以上なにかしろ、と?」
「ちょーっとフリーザー捕まえる手伝いをしてくれるとありがたいですよね、ヒジリさん」
「んあ?」

 ベッドに寝転がって下で繰り広げられるケイタとコフジのバトルを見ていたヒジリは、急に声を掛けられて思わず間の抜けた声を漏らした。ヨシノとナギサの話でありヒジリにとってはそんなことよりもケイタの方が問題だと片耳でしか話を聞いていない。むしろ片耳でも聞いていただけえらいというものだろう。なので、適当に頷いた。
 結果を待たずにすぐにケイタに悪態交じりの指導をかます。自分のクラスの奴が落第でもしようものなら周りに何を言われるか分かったもんじゃない。

「わたしには全くちっとも髪の先ほども関係ないですよね」
「でも僕には関係がありますから」
「課題を手伝ったりしたら駄目でしょう」
「一人で行かせたらいつ帰ってくるか分かりませんよ」
「空飛んで行けばいいじゃないですか」
「<そらをとぶ>は卒業時に貰えますので、在学時は使用不可です」

 ナギサの反論をことごとくヨシノは斬り捨てた。さすがにこれ以上の反論は出てこないのかナギサは口を噤んできっとケイタを睨みつける。が、バトルに集中しているので気づかない。ただ一人傍観者を気取っていたヒジリは遠くでヨシノが放したイーブイとそれを追いかけているポケモンたちを見やりながら、それよりもマサラタウンで課題をやっている生徒たちが気になってきた。

「やった勝った!」
「にゃーちゃん!」

 五才児の悲鳴と十七才の歓声が同時に起こり、視線を戻すとケイタのイーブイがコフジのニドラン♀を倒したようだった。目を回して仰向けに倒れているにゃーちゃんに駆け寄って涙目になっているコフジのすぐ近くで高校生は本気で喜んでいる。

「ぱぱぁ」
「あー、はいはい」

 負けて悔しいのかコフジが目に涙をいっぱいに溜めていた。泣き出す前にベッドから飛び降りると途端にコフジが駆けてきてヒジリの胸に飛び込み、グスグス泣き出した。抱き上げてあやしながらニドラン♀をボールにしまい、ジムに運び込んだ機械に放り込む。一分もすれば回復するだろう。
 コフジをベッドに乗せ、今度はヒジリが近くを飛んでいたズバットを呼んだ。彼はケイタを見失うという失態を犯したため、ケイタに強い恨みを抱いているようだ。

「ケイタ、五才児倒していい気になってんなよ」
「五才ったってヒジリ先生の娘さんじゃないですか!」
「ほら次。俺が相手」

 手加減はしてやるとヒジリが笑うと、ケイタはやる気満々にイーブイを差し向けてきた。まさに日頃の恨み、だ。
 一旦話を中断させて、ヨシノとナギサはバトルに視線を移した。片や情けないバトルしかできない少年と、片や戦闘に関しては天才的と名高い高校教師兼ジムリーダー。勝負は目に見えてはいるというものの、少し楽しい。この駄目おとながどんなバトルを繰り広げるのかナギサは少々の好奇心が混じった眼で見ているが、ヨシノは微笑んで父親が仇を取ってくれるのを見守っている少女を見ていた。

「いきますよ!アヤコ、〈たいあたり〉!」
「お前さ、ポケモンに彼女の名前つけんのやめとけよ。〈ちょうおんぱ〉」

 ナギサもたまに視線をカビゴンに移すと、頬に涙の後をつけた少女がまさに百面相をしている。まだ幼い顔に浮かんだころころ変わる表情に微笑ましさを覚え、下で行われるバトルには反していらつきを覚えた。
 イーブイは簡単に混乱し、クルクルと自分の尻尾を追いかけ始めた。その姿は可愛らしいが、もうバトルにはならないだろう。ただHPだけは削ろうとヒジリは目を眇めてズバットに〈たいあたり〉を命じた。

「遠慮してやれよ?」

 ズバットは甲高い声で鳴いたが、了承はしなかったらしい。一度高く飛び上がるとそこから勢いをつけて落下し、真っ直ぐに違うことなく混乱しているイーブイ――ではなく、そのトレーナーであるはずのケイタに向かって突っ込んだ。ズバットの大きな鳴き声を、近くに控えているルージュラが丁寧に感情を込めて翻訳してくれた。

「お前のせいでぇぇぇえ!」

 スコーンと額に喰らって、イーブイではなくケイタが戦闘不能になった。ばたっと芝生の上に倒れてしまい、一瞬さわさわとしていたジム内が沈黙。ただズバットだけが勝ち誇ったように羽ばたき、キーッと一度鳴いた。ルージュラが「ざまーみろ」とそれを訳した。

「そうとう怨んでたみてぇだな。誰か起こしてやってくれ」

 指示したヒジリ自身が予想外すぎて呆れた声以外出てこなかった。ヒトデマンが水中jから現れてケイタに情けも遠慮もなく水を掛けると、折角乾かしたのにずぶ濡れになったケイタが「うぅん」と唸って起きた。

「……可哀相な子」
「やっぱり心配ですよねぇ」
「でも私には関係ないですし」
「僕は心配でハナダに戻れそうもありません」

 目を覚ましたケイタをアヤコが心配そうに覗き込んでいる。どうやらポケモンとの相性は悪くないようだ。だったら別に一人で行かせればいいと思うのだが、それはそれで問題がある。とにかくナギサからしたらヨシノがジムに戻ってくれさえすればいい。こうなったらさっさとフタゴジマでもどこでも行って伝説だろうが噂だろうが捕まえてきてやろうじゃないかという気になったが別に投げやりと言うわけではない。決して。

「フリーザーを捕まえてくればいいんですよね」
「えぇ。ただし空は飛んじゃ駄目ですよ」
「わたしは使えます」

 しれっと言ってナギサは残った紅茶を飲み干すと立ち上がった。こうなったら善は急げだ。さっさと出発しようとまだ意識が朦朧としている茶髪少年に近づこうと一歩踏み出した。しかしそこで一度硬直する言葉を耳にする。

「お前もうアレだ、修行して来い。全国ツアーは来年だけどお前だけ予行」

 まずニビにでも行って月の石取って来い、その美声は続けた。流石にこれはナギサの方が意識を失いかけた。なんだってすでに全国一周してるのにもう一周付き合わなければいけないんだ、ただジムリーダーを回避したいだけなのに。

「通販使えばいいじゃないですか」
「天然物が欲しいんだ馬鹿」
「俺一人でどうにかなると思ってんですか!?」
「がなんなよ。つか、お前一人でどうにかなるとか思ってねぇし。なんか貸してやるから」

 どんどん進んでいく会話にパクパクとナギサの口が酸欠のコイキングのように開閉する。後ろからヨシノが肩を叩いて「お願いしますね」なんて言ったのにはへたり込んで嘆いてやりたかった。
 ジムの入り口から「ご飯だよー」なんて声が聞こえ、あれよあれよの間にナギサはトキワジムに一泊することになり気がつけば翌日に予備知識は間抜けな迷子の天才だということしか知らない茶髪の少年と旅に出ることになった。


     ◇


 翌朝、ケイタは眼が冴えてしまいあまり眠っていないが熟睡していた担任を叩き起こしてポケモンをせがんだ。別に彼に非があるわけでもなければ強盗目的ではないのだが、約束したから貰うものはもらう。ヒジリは眠そうに欠伸を噛み殺しながらモンスターボールを一つとってケイタに投げつけた。

「中身はトサキント。〈みだれづき〉と〈なみのり〉と……なんかそんなもん覚えてる。よく覚えてねぇから自分で調べろ」

 寝起きの「安眠妨害しやがってこの野郎」という顔にやや怯えながら、ケイタは無事にポケモンをゲットした。語尾についた「捕まえてからあんま使ってねぇから」なんて台詞には若干の不安を覚えたが、まあヒジリ先生のポケモンなら一安心と言うものだ。

「ついでにお前、イーブイ進化させた方がいいぞ」
「どうやってですか?」
「マジでやり直せよそこ小等部の範囲だし」

 一息で言って、聖は長い髪に手を差し込んでかき回しながら煙草を一本引き出した。近くにいたガーディの〈ひのこ〉で火を点け、一息吐き出してやっと目を覚ましたようにケイタととなりでいまだ納得いっていないような顔をしているナギサに向かって笑顔を向けた。

「じゃ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「こまめに連絡しろよ。あとニビのジムリーダーによろしく」

 会ったことないけど美人らしいじゃん、とおどける担任にいつものように一度怒鳴ってから、ケイタは昨日も助けてくれたあまり知らないナギサに「よろしくお願いします」と頭を下げた。昨日一応自己紹介をしたものの、どうにも掴みきれなかった不思議な人だ。
 ボールにしまっていない相棒のアヤコが尻尾を振った。今日も晴れそうだった。





 - 続 -

   ジムの隣にお家が隣接してるんだよ。