ナギサはタマムシシティの生まれだが理由あってハナダシティで暮らしている。学校は十五歳まで一応通ったがけっきょくは実践あるのみという従兄の助言のもと高等部への進級はやめてハナダシティに移り住んだのが二、三年前のことだ。ポケモントレーナーの資格――正しくは地方リーグ挑戦のための全国行脚ことポケモンジムに殴りこみをかける適正年齢が十歳で、それを五年間も引き延ばしていたのだからさすがにあれが潮時だったのだと思う。学校では学年と修学度に応じて手持ちポケモンのレベル制限があったためにナギサの主戦力たちには留守番を強いていたので引っ越してすぐはまず彼らのご機嫌うかがいに費やされた。
 従兄の伝手もあってナギサのジム行脚は一年足らずで無事に完了し、参加するか否かはべつとしてあとはリーグの開催を待つばかりであった今日このごろ、ポケモン協会からハナダシティポケモンジムジムリーダーに任命するという旨の書簡がカイリューによって届けられた。
 ふざけるな、とカイリューが返事を嬉々として待っている目の前でナギサは委任状をにぎりつぶした。たしかにハナダシティのポケモンジムは現在閉鎖中である。昨年まではきちんと機能していたがジムリーダーが本業だか副業だかに無断で復帰したらしいとの噂は聞いていたがそのお鉢がまわってくるとは思いもしなかった。だいたいナギサの本籍はタマムシシティだ。ハナダシティで暮らしている事情も協会に通してある。だというのにこの仕打ち――!
 カイリューに罪はないのでセキエイ高原にある協会本部に直談判に行ったところ、近年リーグが開催されるとのことでさすがにジムを閉めたままでいるわけにもいかず、かといって今から選抜試験をおこなっていたのでは間に合わないので従兄を経由してナギサに話がまわってきたそうだ。しかし納得はできない。

「ぜったいに撤回させてやる……!」

 協会の役員に渡された茶封筒を手に、ナギサはリザードンの背中で拳を握りしめた。


     ◇


「……はい?」

 にこにこと。しかしあまり友好的とは言いがたい笑顔で立ったままティーカップをかたむけている白衣の男は口をつけていたそれをソーサーに置いて先ほどと一字一句たがわぬことをさらりとさも当たり前のように言った。

「生徒をひとり捜してきてください」

 かくしてハナダジムの現ジムリーダーはカントー地方の田舎も田舎、マサラタウンにいち研究者として引っこんでいた。これは協会から得た情報にあった竜田学園に問い合わせて開示されたことで、協会の権威をフル活用して聞きだした。竜田学園には保健医として籍があるそうだが勝手に隠居を決めて好き勝手に研究をしているのだと逆に嘆かれたのには眩暈がした。仕事をしろ。完全にとばっちりだ。胸中にうずまく罵詈雑言を押しとどめてマサラタウンの研究所に飛んでみれば応対したのはあきらかに学生だった。フラストレーションが溜まっているせいかドアを力いっぱい開けて内側にいた男子にぶつけてしまったのはたしかにこちらのミスだがそこで「踏んでください!」などと気持ちわるいことを叫ばれ、傍観を決めこんでいたもうひとりが助け船を出さなければうしろにいるリザードンが文字通り火を噴いていたことだろう。あの子もなかなか短気だから。
 果たして研究所に目的の人物――留守番を任された学生たちに言わせればヨシノ先生はいなかった。留守番がいるのだから不在は当然だがこうして用向きあって訪れる人がいることも忘れないでほしい。居場所を聞けばトキワシティと声を合わせて教えられ、ひとまず礼を言ってナギサはリザードンと入れ替えにギャロップの背にまたがった。歩いていけなくもないがいちいち野生のポケモンたちにかまけていては日が暮れる。ほとんど蹴散らす勢いで林を突破した。

 そこで話は冒頭に帰る。

 そもそもナギサはヨシノとの面識はなかった。ついでに言うと現トキワジムジムリーダーと会ったこともない。もっと言ってしまえば現在の各ジムリーダーのことも一部を除いて名前だけしか知らない。ナギサも一応はジム行脚をこなしているが対戦したのは協会の図らいだか画策だかで前任のジムリーダーたちだ。当時は各ジムにタイプとレベルの制限があったのだが今ではそのルールも取り払われたために無差別だ。そのあたりの調整でリーグの開催が遅れたそうだが知ったことではない。とりあえず今回からのジム行脚は愛称による一騎当千がむずかしくなったのでトレーナーの質は向上しそうだとは思うが。

「お話はわかりました……が、なぜわたしが?」
「僕にジムにもどってほしいのでしょう?」

 茶封筒にはいっていた嘆願書――なぜ雇い主である協会のほうが腰がひくいのか甚だ疑問だ――をひらひらさせながらヨシノはおもしろそうに言った。

「今は竜田での仕事がありますからすぐには無理ですけど、一考はしてみます。けれど行方不明になってしまった生徒も心配ですからあなたが見つけてきてくれれば僕らの憂いも晴れます」

 ほら、一石二鳥じゃないですか。
 まるで唯一無二の名案を言ったかのような晴れ晴れとした表情でいるヨシノにさしものナギサも頬が引きつった。提案をよくよく整理してみればジムリーダー復帰が確約されたわけでもなく面倒という名のデメリットを吹っ掛けられただけだ。後方でもカビゴンの腹に座った男性が「体よく押しつけてるだけじゃねーか」とつぶやいている(次の瞬間にはどこからともなく飛んできたモンスターボールを片手に受け止めていたが)。
 女々しく顔を覆う代わりにナギサは天井を見あげた。かつては真四角の空間にタイル張りで、土が露出した中央にラインカーと石灰でドッヂボールよろしくフィールドが描かれただけのジムだったというのに今ではただの室内グリーンパークだ。木々が茂り、噴水があり、ヘッドドレスをつけたルージュラがトレイをもって行ったり来たり――ジムリーダー業に就くことを全力で回避したいナギサが言うのもあれだがやる気がなさすぎる。これではまだ《植物園》ことタマムシジムのほうが格段にマシだ。

「さて、どうします?」

 投げかえされたボールを倍にしてかえすという芸当をやってのけながらヨシノはにこやかに首をかしげるが、実際のところナギサに拒否権は皆無だ。今は居場所がわかっているがここで断ってとんずらでもされたら目も当てられない。ヤマブキシティとジョウト地方のシティ間にリニアが開通次第そちらにも行ってみようと考えているだけになおさらジムリーダーに納まるわけにはいかなかった。
 言ってやりたい文句を懸命に押し殺す。同時に、ハナダシティの家で留守番をお願いしている相棒を連れていなくてよかったとも思った。彼は世話焼き体質なくせに面倒事をひどくきらっていて、他称トラブルメイカーであるナギサは幼少のころから迷惑をかけたおしている。
 ナギサはため息をついた。これくらい許されて然るべきだ。

「わかりました。かならず見つけてきます」
「ありがとうございます。これで彼も助かりますね」

 ヨシノの言いまわしに思わずつっこみを入れそうになったのをナギサは理性でこらえる。つっこんだら負けだ。

「それで。その行方不明という生徒はどこでいなくなったんです? ディグダの穴? イワヤマトンネル? まさかとは思いますけどオツキミやまってことはないですよね」
「トキワの森です」
「…………すみません、一瞬耳が遠くなったようです。どこの森ですって?」
「トキワの森です」
「………………」

 眩暈がした。


     ◇


 内心で駄目おとなの称号を熨しつけてやったジムリーダーふたりに手を振られ、リザードンに飛び乗ったナギサはまずニビシティに向かった。トキワの森で行方不明――もとい、迷子になったのであれば目的は北上と考えていい。トキワの森はなるべく人の手を入れないようにしてはあるが日が落ちてから活動する野生ポケモンも多く生息しているので人間とポケモン双方の安全のためにトキワシティ側とニビシティ側それぞれに出入り口が設けてあり、おかしな話だがそこからでないと森を出ることはできない。
 ヨシノの手前、ナギサは絶句して見せたがトキワの森で迷うことは不可能ではない。たしかに出入り口付近、時には奥のほうにも日々虫ポケモンを捕ることに生き甲斐を感じる少年たちがいるので少なからずどちらかの町には行けるのだが稀に〈いあいぎり〉を用いなければ切りたおすことのできない細い木を超えてしまう人間がいるのだ。森とは異界と同義である。磁場が狂っているのだと考えればトキワジムのジムリーダーが生徒を監視させていたというズバットのカメラが不具合を起こしてもおかしい話ではない。

「間抜けではあるけれどね」

 がさがさと丈のある草むらを歩きながらナギサは独り言ちだ。
 ニビ側の出入り口では該当者の脱出は認められず、トキワ側でもはいったきりだという。迷子になってどれだけ経ったかは知らないが係員は気にもしていなかった。これは彼らの仕事が杜撰なのではなくて、レベル上げやら捕獲やらで森に居座るトレーナーは意外と多いのだ。いちいち捜索願を出していては切りがないし、なにより十歳を過ぎたら旅に出るというのはもはや当然のことだ。迷ったら自力脱出が基本である。少なくともナギサは手持ちポケモンのテレポートで事なきを得ていた。

「あー、もう。着替えてくればよかった」

 草の葉がすれて膝から下は切り傷だらけだ。ヨシノ相手に直談判が目的だったのでふつうにミニスカートで、ハイヒールでないだけマシかもしれないが痛いことに変わりはない。
 いっそ草むらすべて刈りとってやろうかという考えが頭をよぎったが生憎と手持ちに〈葉っぱカッター〉を覚えているポケモンはいない。必要なので〈いあいぎり〉を会得しているポケモンはいるが無闇に体力を消費させるのが愚の骨頂だ。リザードンかギャロップに焼きはらってもらう手も思いついたが彼らはレベルが高すぎて迷子がおどろくかもしれないというあきれる以外のリアクションが思いつかない助言をされたのでニビシティのポケモンセンターにあずけてきてしまった。したがっておとなしく草むらを歩くよりほかなく、けっきょくは切り傷を大量につくることを受け入れるしかないのだ。

「八つ当たりくらいしたってゆるされるわよね」

 ナギサに独り言の趣味はない。ないが、こうも長い時間ひとりで歩きまわるのは苦痛なのだ。無言でいると目的が霞んでくる。正直に言えば飽きてきた。歩けども歩けども目撃証言は一向になく、〈いあいぎり〉で越えた先にはあれだけ鬱陶しかった虫ポケモンもなかなか現れない。迷っている男子生徒からすれば死活問題かもしれないがナギサにしてみれば絵に描いたような退屈だ。脚のけがと合わせて責任をとってもらわねば。

「一旦出直すべきか……」

 自分まで迷ってしまわないよう木の幹に傷をつけながらナギサはため息をついた。
 口ではそう言ってみたものの、町へもどってふたたびここまで来るには骨が折れる。そもそも長期戦を覚悟するような事態でもない。いざとなれば警察に頼んでガーディを動員すれば済む話だ。いわゆる山狩り(森狩り?)である。生態系を崩すことになりかねないので最終手段だが考慮には入れておくべきだろう。
 なんて手間のかかる……気休めのため息をつきかけたところでノイズのようなものが聞こえ、ナギサは顔をあげた。

「どうしたの、キリー」

 左右のユニットから電磁波を発生させ、重力を遮ることで空中に浮かぶというなかなか難易度の高いことをしているらしいコイルに声をかけてやる。〇・三メートルのからだが浮かんでいるのは随分と高いところだ。こうも障害物が多いと鳥ポケモンを飛ばすことができないので変わりに上空探査をおこなってもらっていたのだがどうやらなにかを見つけたらしい。
 ちなみにナギサのポケモンたちにはニックネームのほかにも名前があって、人前ではそちらで呼んでいる。理由は単純明快にネーミングセンスを笑われたくないから。コイルならばじしゃく、リザードンはとかげ、と基本的に見たままだ。当人たちもそれで納得しているので問題はポケモン愛護的にも問題なしだ。
 ゆるやかに高度を落としたコイルが先導する方向に早足で向かう。まるで罠のように盛りあがった木の根を五つほど飛び越えたあたりでぼそぼそとした肉声が耳をかすめた。しかし中途半端な高さの木々が垣根のようになっているせいですがたは見えない。ナギサは一瞬だけ考え、すぐさま手近なところに生えていた木の幹に足をかけた。くぼみをうまく利用してあっという間に登ってしまう。相棒に知れたらこっぴどく説教されそうだがバレなければいいのだ。
 ちょうどいい高さと太さの枝まで這いあがり、ナギサは足を放りだすようにして腰かけると真下を見て、ちょっとだけこまった。えーと、と頬をかく。

「……近年稀に見る間抜けなバトルね。そう思わない?」

 同意を示すようにコイルが甲高く鳴いた。
 トキワの森において、虫ポケモン同士がたたかうことはめずらしくない。片方がトレーナーの手持ちポケモンであるならばなおさらだ。レベルは低く、遭遇率は高いここでならば容易にレベル上げができるからだ。逃げるにしても積極的に追ってくることはそうないのでいざとなれば手持ちポケモンを抱えて逃走することだってできる。
 だと言うのに。

「おたがいで〈糸を吐く〉攻撃じゃ、埒が明かないでしょうに」

 組んだ太ももに頬杖をついて、ナギサは肩を落とした。
 真下で野生のキャタピーを相手にキャタピーで応戦している男子が件の迷子でまちがいないだろう。目印として教えられた竜田学園のジャージ、その背中のロゴも確認できた。ナギサの仕事は彼をトキワシティまで連れ帰ることだが乱入の仕方が思いつかない。オーソドックスに声をかけるのでは気が治まらないし、このまま静観していても状況は停滞したままだ。
 どうしたものかと頭を悩ませていたらコイルがきりきりと頭部のネジを鳴らした。かわいらしい自己主張にナギサは二、三度またたく。

「――そだね、そうしよう」

 きゅいきゅいとよろこびを表現するコイルにうなずいて、ナギサは真下のバトルを指差す。

「キリー、〈電気ショック〉」

 三秒後、二匹のキャタピーに電流が走った。





 - 続 -

    聖先生が予想以上にしゃべらなかった……