カントー地方ヤマブキシティに竜田学園は存在する。名門の子女ばかりを集めた超がつくほどに有名なこの学園では当たり前のようにポケモントレーナーの育成に力を入れている。高等部の二年になると実践的なカリキュラムに移行し、三年では研究発表で成績がつく。今年の二年生の課題はまず学校から担任の家に行く。そこで課題を出され、クリアしたら単位習得になる。クラスによって難易度はまちまちで、まず担任の家に行くのに相当の冒険をする必要があるクラスもあれば学校から徒歩数分で着くクラスもある。
 先日受けた説明を思い返して、ケイタはしみじみ自分の冒険を振り返った。学校からクチバに行きディグダの穴を通ってトキワシティに向かう旅は、短いようで結構ハードだった。

「なぁんでこのジムこんなに自然たっぷり?」
「つーか先生、ジムリーダー?」

 トキワジムの前に立って一緒に来た友人二人が呆然と呟いたのを聞いても、ケイタはまださっきまでの旅のことを思い出していた。クチバに行く時にガードマンに通してもらえず学校名に物を言わせて通ってみたり、ディグダの穴でダグトリオに襲われてみたり、一本道で危うく一人だけ迷子になりかけてみたり………。結構辛かった。

「ケイタ、まぁたあっち行ってる」
「いっそ置いていきたい」

 こそこそと自分に向けられる言葉にも気づかずに、ケイタは大きく息を吐き出した。これで辛かった旅も終わりだ。可愛い相棒のイーブイも休めるはずだ。ケイタは顔を上げて一つ頷くとジムのドアに手を掛けた。
 中に入ると、そこには今までとは全く違う風景が広がっていた。教科書で見ただけのケイタ達も流石に言葉を失う。写真ではただの四角い部屋にタイルが敷いてあり足場が動くようになっていた。けれど今視界に飛び込んできたのは、緑豊かな空間だった。のどかにポケモンたちが日向ぼっこをしていたり大きな泉ではキラキラと水しぶきが上がっている。さしずめ空中庭園だ。女の子のきゃいきゃいした笑い声も聞こえてくる。ここは本当にカントー最後のジムだろうか。

「何ここ、何世界?」
「いらっしゃいません」

 吃驚して入り口付近で立ち竦んでいると、野太い声がした。聞きなれている担任の美声ではないし、そもそも人間の声とは思いがたい。三人が同時に声のした方に首が折れんばかりの勢いで顔を向けると、ルージュラが二体立っていた。大きい方が恭しく頭を下げると、小さい方がそれに倣って頭を下げる。ていうか、このルージュラなんて言った?

「えっと、ヒジリ先生いらっしゃいますか?」
「いらっしゃいません」
「いらっしゃいません!」

 え、いらっしゃらないの?これ授業の一環じゃないんですか。大きい方が綺麗な発音で主がいないことを告げると、小さい方も繰り返す。それが更に衝撃を煽り、三人して言葉を失った。膝を着きそうなほどに落ち込んでしまって、自然に溜め息が零れる。なんでこんな所まで来たのに担任不在なんだ。ずーんとへこんでいると、いないと言ったルージュラは何故か三人を奥に促した。流暢な日本語で「ご案内いたします」とか言いやがるので、もしかしたら待合室的なところに連れて行かれるんじゃないのかと身構えてしまう。
 けれど奥に行くと、広場のようなところでカビゴンの上に見覚えのある姿を見つけた。その周りでは少女がイワークと戯れている。まるで日曜日の公園のようだ。娘さんがだいぶ過激なポケモンと遊んでいる所が気になるけれど。近づくと、カビゴンの上で人外の美貌が寝息を立てていた。読んでいて眠ってしまったのか、開かれたままの雑誌が胸の上にある。

「ごしゅじんさま。おきゃくさまです」
「ごちゅじんさま!」

 カビゴンの下からルージュラが声をかけるが、彼が目を覚ます気配は無い。小さいルージュラは口が回っていない。起きないことに不機嫌になったのか、小さいルージュラが早くも冷凍ビームを出そうとし始めた。慌てて大きいルージュラが止める。上空を旋回しているプテラが「ギャー」と鳴いた。ルージュラたちの行動に、イワークと少女を遠くから見ていたラフレシアが慌ててとてとて駆け寄ってくる。

「そーちゃん、めぐちゃん。どうしたの?」
「ごしゅじんさまが目をさましません」

 少女が気づいて問いかけると、ルージュラが困ったように眉を寄せて小さいルージュラを完全にホールドしたまま肩を竦めた。数度瞬いた彼女はイワークに「いけー!」と号令をかけるとカビゴンに突進していく。カビゴンにぶつかる直前にイワークが止まって反動で少女の体が投げ出され、けれど見事に父親の腹に着地した。彼の口から苦しげな呻き声が出たことには誰も気づかない振りをする。
 数度咳き込みながら苦しげに美しい顔を歪め、ヒジリが娘の体を支えてゆっくりと体を起こした。ぼんやりとした頭を覚ますように周りを見回して、ケイタたちの前で視線を止める。

「コフジ、パパにダイブ禁止だって言わなかったか?」
「めぐちゃんがパパ起こしてって言うの。ベッドから降りてください」

 ベッドと言うのはカビゴンのことだろうか。ちょっとこの人のネーミングセンスを疑うが、彼愛用のポケモンであるラフレシアはソウタという比較的普通の名前だ。ただし、ナゾノクサのときにつけた名前であり、進化した時に「あっ」となったらしい。
 ヒジリはベッドからコフジを抱いたまま降りてくると、ケイタたちを見て軽く納得したように頷いて「MEGUMI、あれ持ってきてくれ」と言い、ルージュラが奥に向かう。ヒジリはコフジを降ろすと丸めた雑誌を小さいルージュラに渡した。

「お前等が一番か」
「マジですか!?やった、ケイタの迷子もなかったことにしてやろうぜ」
「まだ迷子じゃなかったよ!」

 ケイタが迷子になったか迷子になっていないかで喧嘩が勃発してしまった。こんなんでバスケ部のレギュラーは大丈夫なのかと不安になりながら、ヒジリはMEGUMIが持ってきてくれた箱を取り上げた。隣でピョコピョコと興味津々に覗いてくるコフジが邪魔なので「草ポケモンに水やって」と言うと、娘はにっこりと笑って泉の方に駆けて行った。

「クジ引いて、その指令をクリアして帰って来い」
「もちろんできる指令入ってますよね?」
「他のクラスに比べて簡単だと思うぞ。SAYAKA!雑誌は水洗いするんじゃねぇ!」

 コフジにちょこちょこついて行ったSAYAKAと呼ばれた小さいルージュラが泉に雑誌を浸そうとしていた所を寸でのところで止めて、聖は肩で息を吐き出した。ケイタたちがくじを引いている間に見ていると、コフジは泉からヒトデマンを呼んで水遣りをしている。ついでにコフジも水を被っているが、ここは大目に見てやろう。

「ヨシノ先生のところに行く、だって」
「俺も。ケイタは?」

 マサラタウンに勝手に隠居を決め込んで好き勝手に研究とかをしている自校の保健医の名に二人は眉を上げるが、ケイタの表情は固まったままだった。ヒジリの親友だから少し不安はあるけれど、ここから近いことは救いだ。自分たちの身の保障を結論付けて、身じろぎ一つしないケイタに問いかけると、顔を真っ青にしたケイタが唇を震わせた。心なしか声も冷たさを帯びている。

「………フリーザーを取って来い」

 うわ、ハズレクジだ。二人は正直にそう思った。いくらなんでも伝説のポケモンとって来いってのはひどすぎる。そう思って担任の表情を窺うと、にやにや笑んでいると思っていたけれど彼の顔も引きつっていた。吐息のような声は、驚きよりも呆れを含んでいた。

「なんで一枚しか入ってねぇの引いてんだよ」
「……ケイタってある意味くじ運いいよな」
「しかも全部で三十六枚入ってる」
「うちのクラス三十五人ですけど」
「残りは全部『ヨシノのところに行く』」

 どうしてそんなしち面倒くさいクジを作ったんだか。それが分からないし、なんで一枚だけ難易度が上がっているんだ。当事者じゃない人間はあきれ返るしかないが、実際にくじを引いてしまったケイタは呆れる前に現状に絶望した。体から力が抜けて膝を折り、負のオーラを振りまき始める。気持ちが分かるが、鬱陶しいことこの上ない。
 ヒジリはばつが悪そうな表情で空を見上げ、旋回するプテラを目で追った。無意識的に胸ポケットから煙草を吐き出すと隣からサッとMEGUMIが火を差し出す。自然な仕草で火を点けると、一度紫煙を吐き出してからケイタを見下ろした。

「引いちまったんだからしょうがねぇだろ」
「………先生が余計なことをするからでしょう」
「俺のポケモン貸してやるから」

 ヒジリはジムリーダーも務めているし、戦闘に関しては天才らしい。そんな人間が使うポケモンならば当たり前のように強いだろう。ケイタの強弱に関わらず伝説のポケモンにも勝てるはずだ。ちょっと希望が湧いてきた。
 ケイタは立ち上がるとゆっくりと顔を上げた。その顔が泣きそうに歪んでいることは自分では気づいていない。

「本当ですか?」
「マジマジ。つーかお前等二人はさっさと行って来い」

 マサラタウンまでの短い距離を旅する彼らを追い出すように手を振ると、それを見ていたオニドリルが強風を二人に送り始める。溜まらずにジムを飛び出した二人を見送ってから、ヒジリはいつの間にか水遣りから水遊びに変わっている娘を振り返った。隣では現在小藤のお気に入りのイワークのテツゴロウが濡れて倒れている。

「コフジ、ピカチュウどこいる?」
「ちゅーちゃんダメ。コフジと遊ぶの!」
「はいはい。んじゃこっち」

 ぷぅと頬を膨らませた娘に苦笑して、ヒジリはポケットからモンスターボールを引っ張り出してケイタに投げ渡した。それを危なげなく受け取って、ケイタがマジマジと見やる。これには何が入っているのだろう。

「サンダースが入ってる。悪ぃな、ネズミじゃなくて」
「ありがとうございます!」
「遠いからこまめに連絡しろよ」
「はい」

 ケイタは大きく頷いてモンスターボールをジャージのポケットに仕舞いこんだ。ディグダの穴を通るので、制服ではなく部活のジャージを来ている。背中に大きくロゴが入っているのでよく目立ち、威嚇効果も抜群だ。普通ならばお坊ちゃん学校の衣服はカツアゲの対象だが、竜田の生徒に手を出すと社会的に抹消されるので誰も手を出さない。
 背を向け軽快に走っていくケイタの背を指差してヒジリが近くに飛んでいたズバットについて行くように指示しているのはケイタには聞こえなかったけれど、親子の「コフジ、風邪引くから着替え」「やーん。ポニーちゃんがかわかしてくれるもん」と言う声は聞こえた。




 ズバットから送られてくる映像を見ていた聖は、つまらなそうに目を細めた。ケイタについていかせたこいつには監視能力があり、ズバットの額に取り付けたカメラから映像が送られてくる。現在トキワシティを上がり、ニビシティに向かっているのかディグダの穴に向かっているのか分からないけれど順調のようだ。

MEGUMI、毛布持ってきてくれ」
「かしこりました」

 恭しく頭を下げたMEGUMIにヒジリは僅かに眉を寄せた。喋り方は流暢なくせに、彼女の言葉は多少間違いがある。ヒジリは隣で体を丸めて眠っている娘の体を抱き寄せ、再び画面に視線を移す。フタゴジマにいくのなら上に上がるよりもここから下がってマサラを経由してグレンに向かった方が早いのではないだろうか。ヒジリがMEGUMIが持ってきてくれた毛布をコフジに掛けてやると、ぎゅっと父親の服の裾を掴んでいたコフジの手の力が緩んだ。

「お邪魔しますよ」
「どした、いきなり」

 突然現れた親友の姿にヒジリは軽く目を見開いた。現在マサラタウンにいて生徒達が何かしらの指令を受けているはずだが、こんな所にいる暇があるのだろうか。ヨシノは主に空を飛ぶを利用しているのでここまで来るのに時間がかからないけれど、少し気になる。ヒジリはベッドから降りると芝生の上に座り込んでヨシノに座るように手で示した。

「ガキ共が行ってるだろ?」
「えぇ、指令をちゃんと出しましたよ。ありがとうございます、ソウタくん」

 ソウタが出してきたお茶を受け取って、ヨシノが微笑む。ヨシノの話では、出した指令とやらはポケモンを捕まえてくること。しかもえげつないことにレベルから経験値まで細かに指定があるらしい。例えば、さっき出したものには「レベル九十九で使える技がはねるのみのコイキング。経験値があと一でレベルが上がる状態」。これを鬼畜といわずなんと言おうか。

「……お前、それ今年で終わる課題か?」
「頑張れば終わりますって。人間気合ですよ」
「いっそケイタはあれで良かったかもな」
「フリーザーよりマシですよ。ケイタ君も大丈夫でしょうかね」
「大丈夫だろ。そこそこ実力もあるし」

 本人には言ってやらないけどなと笑って聖は煙草を引っ張りだした。銜えたままライターを探していると、さっとSAYAKAがライターを出してくれる。出してくれるだけで火は点けてくれなかったので、やや不満そうに受け取って自分で火を点けた。それからまた画面に視線を戻す。

「ヒジリさん、貴方そのルージュラたちをどうしたいんですか」
「可愛いメイド」
「……ルージュラ可愛いですか?」
「ラッキーよりは燃えるぞ」

 言いながら、聖は危うく煙草を落す所だった。いきなり画面がアウトしたのだ。さっきまでちゃんとケイタの茶髪の頭と道を写していたはずなのだが、現在は砂嵐が映っている。ケイタに何かあったというよりはズバットに何かあったのだろうか。どうしたものかと対策を立てかねていると、ジム内に放っているズバットがけたたましく鳴きだした。多分、超音波でのメッセージでも受信したのだろう。それをMEGUMIが翻訳して伝えてくれる。

「ターゲットを見失った。場所はトキワの森。僕悪くない。あいつ悪い」
「……人のせいにすんなよ、ポケモンが」
「ケイタ君、ここまで来ると迷子の天才ですね」
「帰ってこれねぇぞ、あいつ」

 呆れを通り越してしまい、ヒジリは特に危機感を感じずに紫煙を吐き出した。灰を落す所を探すが見つからず、諦めて芝生の上に灰を落とした。近くにいたゼニガメに火を消させると、これからどうしようかと考える。その時、MEGUMIがまた到着した生徒を連れてきた。

「それじゃあ僕、彼らと共に一度帰りますね。そしたらまた来ます」
「あー、うん」

 曖昧な返事を返して、聖は砂嵐の画面を見続けた。まぁポケモンも持っているし子供じゃないから特に心配する必要はないだろう。そう楽観視して娘が寝ているはずのベッドを見上げると、毛布は少し膨らんでいたが少女と言えども容量が少ない。さっきのズバットの声で起きたのだろうか。

「ぱぱぁ…、でんこちゃん帰ってきた」

 舌ったらずの可愛らしい声がしてそちらに視線を移すと、起きたばかりなのだろう少し不機嫌な顔でコフジが目を擦りながら、さっきケイタに貸したはずのサンダースを連れてきた。本当にケイタに捜索願でもだした方が良いだろうかと一瞬本気で思った。





-続-

   だいぶ壮大な物語になりそうです。